千保川の川原にできた村だから
千保について記したもっとも古い記録は1278年(弘安元年)の平賀家文書の覚書に油田郷の11ヶ村に千保は隣接の宮村・三郎丸・中村と一緒に含まれていた当時は千保と庄下・油田を隔てる大きな川がなっかたためと推測される。このことから先祖は油田・宮村方面からの分派してきたのではないだろうか?杉木の神主 林氏が住んでいたとの言い伝えもある 1701年(元禄14年)の「砺波郡村名之由来書記上り申品々帳面」に、1618年(元和4年) に千保川の川原の中にできた村だから千保村と名付けたとある。 1701年(元禄14年)以前にはすでに開拓がはじまっており人が住んでいた想像される.1550年代の過去帳が残っている家もある。
<市史・南般若・周辺地区の村誌等参照>
中世の日本に存在した地域行政の単位に「保」が使われており全国に保のつく地名もおおく残っている。近隣に西保神社の名前や砺波市東保の遺跡から12~13世紀の土器が出ている。また林神社から分祀した千保神社ですが林神社は雄神川(庄川)の洪水で流出で現在の林の地に建立されたと伝えられているひょっとしたら昔は千保の地は「千代に続く保」として大伴家持の時代にはあったのでは?数度の雄神川の流れが変わる前にあったのでは?など先祖の苦労を偲んでみてはいかがでしょうか。
祭神
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
大山咋命(おおやまくいのかみ)
由緒沿革
創立年月不詳であるが宮司林家 (砺波市杉木)言い伝えによると、永禄の末頃社僧を要する規模であったであろうか。林氏が千保村に入居して慶長二年(一五九七)まで千保村にいたらしい。大正9年4月の日吉社を現在地の神明社に合祀し千保神社と改称
昭和49年10月、拝殿造営百年を記念して収蔵庫が新築された。
1月3日 新年祭
3月23日 春祭(祈年祭) 鎮火祭
6月29日 除蝗祭(虫祭)
10月30日 秋祭(例祭)
12月4日 新嘗祭
6月下旬 大祓祭
12月下旬 大祓祭
<南般若村史 抜粋>
1618年 千保村の記録
十村組の所轄記録から
1640年 道明村九郎二郎組
1642年 金屋本江組
1661年 東保組(般若組)
1646年 千保新村(のち千保村)270石
1654年 改作法施行(加賀藩の農政改革)
1658年 千保村御印になる
1760年 検知引高 234石(1石=100升)
1671年 御印高 63石(水害の影響)
1676年 千保村7軒90石 給米帳から
1699年 千保村11軒182石
1714年 松川除堤防完成
千保川が庄川へ移流
1772年 春に大洪水
1716年 266石までに累増
1740年 95石の検知引高(水害で減)
1815年 千保川跡開拓を加賀藩が指示
1820年 船戸口用水(新川・新開)完成
1840年 千保川跡地に千保新村できる
1772年の洪水「郷土砺波より」
庄川の氾濫で先祖は苦労していたことを考えると防災に対する先祖への感謝と防災意識の再認識が必要です